ずっと行きたいと思っていた場所にようやく行けることが出来た。
「原爆の図」が飾られている丸木美術館。
アクセス
近いというわけではない場所にひっそりとあるその美術館。
【住所】
〒355-0076 埼玉県東松山市下唐子1401
【交通】行き方は3つ。
①東武東上線森林公園駅 南口よりタクシーで10分。徒歩50分。
②東武東上線東松山駅より市内循環バス唐子コース「丸木美術館東」下車。
③関越自動車道 東松山インターより小川方面10分。
私は行きはタクシーで行き、帰りは徒歩で行った。
行く際の注意点としては、行くまでの道中でご飯を食べる場所が少ない。あるにはあるが、周りが工業地帯ということもあり工場はあるが、ガテン系のお食事処が多くあった。なので、先に駅に着く前にご飯を食べておくことをオススメする。駅の周辺にもあまり食べるところはない。コンビニはあった。
会館時間・休館日・入館料
【開館時間】
午前9時~午後5時(12月~2月は午前9時30分~午後4時30分まで)
【休館日】
月曜日、月曜祝日の翌日。
【入館料】
大人900円 18歳未満・中高生600円、小学生400円

原爆の図
1945年8月6日、広島に人類最初の核兵器、原子爆弾が投下された。知らせを聞いた広島出身の丸木位里と妻俊は、数日後に駆け付けそこで原爆の惨状を目の当たりにする。原爆投下して数年後、メディアの国民も原爆の被害のことを黙っていた。丸木夫婦は共同制作で《原爆の図》を描き始めた。やがて世界20か国以上を回る巡回展を行い、30年以上の歳月をかけて全15部の《原爆の図》を完成させた。

建物の2回から原爆の図の展示が始まる。
展示の部屋に入ると四方を囲む原爆の図。
そこに入るだけで絵の迫力で鳥肌がたった。
丸木位里さん

丸木位里さんは1901年に現在の広島県安佐北区安佐町飯室に丸木スマの長男として生まれる。家は農家であったが、幼いころは悪ガキで勉強が苦手。しかし、せっかく生まれた来たのだから何かしなければ・・・と思うようになった。青年団に属した後に文学の面白さに目覚め、「芸備日日新聞」にて詩や小説を掲載するようになった。またひょんなきっかけから絵を任され、書くようになる。そんなきっかけから絵の面白さを知り、絵の勉強をするようになるのだった。その後月日が経ち、大阪へ行き、天王寺の私立大阪精華美術学院に入学し、デザインから学ぶのであった。1923年にいよいよ東京へ上京したのだった。
風景画などを書いていくうちに入選作品も出てきたのち、展覧会も開催するようになったのだった。そんな中で1940年にのちに妻となる赤松俊子と出会うのであった。
丸木俊さん

1912年に赤松俊として、北海道雨竜郡秩父別府の善性寺という寺で生まれた。廊下の壁に絵を書いてしまうほど絵の好きな女の子であった。成長をしていくにつれ、母が亡くなり、義母と共に暮らしていくにつれ、少し年齢よりも大人びた少女になったとのこと。俊さんはクラスメイトからよく似顔絵を頼まれ書くことが多かったそう。また、図画の時間に美術学校を卒業した若い先生に絵を誉められてからは東京に出て美術の勉強をしたいと思うようになったのだった。
美術の先生に一時的になり美術を教えていく。外交官の子どもに勉強を教えるという家庭教師になりつつ、モスクワ、ミクロネシアに長期滞在しつつスケッチ画を描いていく。

原爆の図を見て
美術館とはいえ、丸木夫婦が住んでいたアトリエだったので、敷地自体はさほど広くはない。しかし、その中で丸木夫婦が描いてきた作品たちが溢れんばかりに飾られている。
建物の2階に上がると広い部屋に有無も言わさない雰囲気で原爆の図が8点飾られている。
その迫力に鳥肌が立ってしまう。



この絵を夫婦2人で書いたと思うと本当にすごい。
第1部~8部までが2階に展示されていた。1945年8月6日広島の街や人を丸木夫婦が見てきた姿が描かれている。
今までたくさんの被爆者の方々から被爆当時の体験を聞いてきた。作品を見ている中でその方々の体験が何度も頭の中でリピートされた。
順路を巡り、1階に降りる。すると、原爆の図第9部~14部までが展示されていた。2階にあった広島の原爆の姿だけではなく戦後に行われた第五福竜丸の水爆実験の被害や原爆の被害が日本人だけの話ではないというのが描かれている。




原爆の話となると、どこか”広島””長崎”の話、原爆=日本人の被害と思う人も多いだろう。実際は違う。原爆=人類の被害、投下場所=日本であり、被害者=日本人以外もいるということである。また、1945年8月6日で終わりではないということだ。
原爆の図 第14部 からすに関しては朝鮮人被害のことが描かれている。
日本人とほとんど顔も違わない朝鮮人。私も日本にいながら何回か韓国人や中国人に間違えられる経験はある。
原爆が落とされてもなお差別された。日常から差別され、被害に遭ってもなお差別をされる朝鮮人のことが表現されている。
また、奥を進むとまたひときわ広い部屋になる。
広い部屋の中には今まで見てきた絵の数倍の大きさの絵が展示されていた。
そこには4枚の絵が展示されている。
アウシュビッツ、南京大虐殺の図、水俣の図、水俣・原発・三里塚



原爆と共に世界の負の遺産として並べられることが多い、アウシュヴィッツ。そして日本の加害の歴史を描いている南京大虐殺。日本の公害の被害を描いている水俣病。
どの問題にもそれぞれの場所に丸木夫婦は直接訪れている。
目で見たものを直接描いているからこそ、絵の迫力と説得力があるのだと思う。
実際に目で見て、書籍を通して丸木夫婦のことを知り、平和に対してとても真摯に向き合ってきたからこそこの作品たちが出来ているのだと思う。
この展示されている作品を今後も多くの人たちに見てもらい、平和への想いをつなげていってほしい。
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