私は父に会ったことがありません。父が死んだ年齢に自分もなった時、父はどのように死んでいったのか、兄弟に手紙を書いてその姿を追いかけていた。 濱住次郎さんのお話 濱住さんとの出会いはピースボートのおりづるプロジェクトが実施…
バトンを受け継ぐ⑥~濱住次郎さんのお話~

私は父に会ったことがありません。父が死んだ年齢に自分もなった時、父はどのように死んでいったのか、兄弟に手紙を書いてその姿を追いかけていた。 濱住次郎さんのお話 濱住さんとの出会いはピースボートのおりづるプロジェクトが実施…
被爆者の方々の職業は”語り部さん”ではない。 被爆者とはいえ、被爆証言を必ずしなくてはいけない訳ではない。 だって、辛い体験だから・・・話をするということは当時を思い出すこと。 当時を忘れようと、日々の生活に夢中になり少…
被爆者の方で出会った中で尊敬の意味を込めた上でこんなに”可愛らしい少女”な人はいるのだろうか。 彼女の言葉1つ1つが相手に寄り添ったものであるので、いつしか人々は彼女のことが好きになるのだと思う。 お茶目で優しくて、冗談…
私が伝える理由 なぜ私が、被爆者の方々をリスペクトしているのか。 偏見もなくみたらただのおじいちゃん・おばあちゃんたちである。 一緒に過ごすとわがままも言われるし、優しい言葉を掛けてくれる時もある。 私の祖父母となんか変…
アメリカが原爆を落としたことに日本人はなぜ怒らないのか。 おりづるプロジェクトで被爆者の方々と各寄港地で証言会をした後に必ずこの質問される。 私もこの質問に共感だ。 その度に被爆者の方々はこう応える。 「原爆を落とした時…
次に平和記念公園の中を進み、ある石碑のところに行く。 原爆投下の場所から4kmほどしか離れていないところ。 原爆資料館のすぐ近く、本川の土手のところに石碑はあった。 その石碑には多くの名前が刻まれている。 ピースボランテ…
入間市ヒロシマ派遣団2日目 8:15鐘がなる。 相生橋でつながれる川向こうの岸。原爆ドームの対向にある平和の時計塔の鐘。 原爆が落とされた時間に毎日鐘が鳴る。 広島市民は身近に原爆を感じているかと思う。 朝はひんやりと…
少し遅くはなったが、ゆっくりと広島に行ったことを残しておこうと思う。 ===================== 12/23 12月してはポカポカ陽気の中、いよいよ入間市ヒロシマ派遣団はヒロシマに向かう。 季節外れの…
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