TAG 被爆者

映画*愛と死の記録

まさか自分が仕事で俳優の吉永小百合さんと仕事をする日が来るなんて、思ってもみなかった。 日本を代表する俳優である「吉永小百合」。 正直、緊張でする判明、どのような方なのかいまいち分からない。 なので、お会いする前にどのよ…

バトンを受け継ぐ⑦〜倉守照美さんのお話〜

一緒にいるとなんだか家族のような気持ちになる。誰よりも人の気持ちを考えて行動してくれて、人の気持ちを汲み取ってくれる。とても近い存在であり、つい「お姉ちゃ〜ん!」と呼びたくなる。 彼女に会った人は一瞬で彼女のことが大好き…

バトンを受け継ぐ⑥~濱住次郎さんのお話~

私は父に会ったことがありません。父が死んだ年齢に自分もなった時、父はどのように死んでいったのか、兄弟に手紙を書いてその姿を追いかけていた。 濱住次郎さんのお話 濱住さんとの出会いはピースボートのおりづるプロジェクトが実施…

おりづるが世界を巡るまで③

前回からの続き おりづるが世界を巡るまで① http://kasuminsan.com/?p=934 おりづるが世界を巡るまで② http://kasuminsan.com/?p=1026 担当スタッフ おりづるプロジェ…

おりづるが世界を巡るまで②

前回からの続き 世界を巡るおりづる① http://kasuminsan.com/?p=934  募集~選考 前回のブログで2018年のピースボートのクルーズにて98回クルーズと99回クルーズにておりづるプロジ…

バトンを受け継ぐ⑤〜木村徳子さんのお話〜

被爆証言を話すということは自分のプライバシーをさらすこと。 ”被爆者”と一言でくくらないでほしい。被爆者と言ってもたくさんの体験がある。 そう言われて思わず背筋が伸びる。 被爆体験=プライバシーをさらすこと。 この個人情…

バトンを受け継ぐ④~田中稔子さんのお話~

被爆者の方々の職業は”語り部さん”ではない。 被爆者とはいえ、被爆証言を必ずしなくてはいけない訳ではない。 だって、辛い体験だから・・・話をするということは当時を思い出すこと。 当時を忘れようと、日々の生活に夢中になり少…

バトンを受け継ぐ③~三瀬清一朗さんのお話~

あなたには10歳の時の記憶はありますか? 証言を始める時、聞いている人たちに話しかける。 10歳の時の記憶。私は覚えていない。 三瀬清一朗さんのお話 三瀬さんとの一番最初の出会いは4年前のピースボート第83回クルーズ、私…

バトンを受け継ぐ②~土田和美さんのお話~

被爆者の方で出会った中で尊敬の意味を込めた上でこんなに”可愛らしい少女”な人はいるのだろうか。 彼女の言葉1つ1つが相手に寄り添ったものであるので、いつしか人々は彼女のことが好きになるのだと思う。 お茶目で優しくて、冗談…

バトンを受け継ぐ①~三宅信雄さんのお話~

私が伝える理由 なぜ私が、被爆者の方々をリスペクトしているのか。 偏見もなくみたらただのおじいちゃん・おばあちゃんたちである。 一緒に過ごすとわがままも言われるし、優しい言葉を掛けてくれる時もある。 私の祖父母となんか変…

終わりの始まり

12月7日から13日の7日間、被爆者の方々を連れてノルウェーのオスロに行ってきた。 目的はノーベル平和賞の授賞式を見るために。 参加者は被爆者総勢30名。(同行者も含む) 最高年齢93歳!最年少でも同行者の娘さん56歳。…

日本人にとってのノーベル平和賞

これからが核廃絶をするためのスタートです。 私が出会う人は皆、口をそろえて言う。 80歳を越える彼らがまだ、スタートだといい、まだこれからも活動をしようとしている。 今までも十分活動してきているだろうに。 日本は戦争時唯…

被爆者を世界の舞台へ

ノーベル平和賞の受賞のフィーバーが未だ収まらない中で、被爆者を授賞式に送り出すために動き出した人たちがいる。 恵泉女学園大学である。 その名も オスロに被爆者を派遣するための募金キャンペーン 恵泉女学園大学は核問題や軍縮…

平和は子どもから~2017いるま平和のための戦争展~

9月10日(日)@入間市産業文化センター LIVEイベントが行われる。 今回参加したのは私が去年の冬に参加した“ヒロシマ子ども派遣団”の報告があるからだ。 13:00~始まり、まずは朗読ボランティアの方々による短編集と詩…

入間市ヒロシマ派遣団1日目~透明のバトン~

少し遅くはなったが、ゆっくりと広島に行ったことを残しておこうと思う。 ===================== 12/23 12月してはポカポカ陽気の中、いよいよ入間市ヒロシマ派遣団はヒロシマに向かう。 季節外れの…